ソラマメブログ

2008年12月23日

JPL異変:SIM消失 その2



JPL異変:SIM消失 その2



昨日の続きです。
 
 *JPL異変:SIM消失 その1
  http://sos.slmame.com/e470494.html


まず先に、今回のJPL異変に関して
最新の情報を載せておきます。

12月23日22:00現在、
ビューワのマップ上では
JPL兵庫・京都・山梨・福島の4SIMが
オフラインの薄茶色状態になっています。



JPL異変:SIM消失 その2



JPL大阪の先例で言うと
この後、数時間~1日ぐらいで
薄茶色から真っ暗な状態になる可能性が高いです。

そして、諸情報を総合すると
SIMの完全消失はそれから約1週間後ぐらい。

これで、すでにオフライン状態にある、
JPL大阪・奈良・三重・愛知と合わせて
8つのSIMが消滅の過程に入ったようです。

また、他の住民の方がリンデンサポートに問い合わせて
JPLの6つのSIMの今後について回答を得ています。

以下、JPL住民用掲示板から転載

 「JPL京都」 22日にオフラインの予定
 「JPL大阪」 18日に既にオフライン、25日に削除予定
 「JPL千葉」 1月12日にオフライン予定
 「japarandtokyo」 1月10日にオフライン予定
 「JPL愛知」 12月19日に既にオフライン、26日に削除予定
 「JPL神奈川」 12月31日にオフライン予定


繰り返しますが
オフライン後、約1週間後ぐらいに
SIMが完全消失するようです。

一方、マグスル社長のネコ氏が
今回のJPLの異変に関して救済プランを提示しました。

 *じゃぱらんど救済プラン
   http://magsl.net/archives/2008/12/23141139.php

昨夜のハタケ氏からの依頼を受けて
マグスルのサイトに掲載したものです。

以下、引用。

  とりいそぎ、マグスルではHATAKEさんと相談し、
  じゃぱらんど住民の方向けに追加1ヶ月無料プランをご用意し、
  一日も早く新たな土地を手に入れられるように
  お手伝いしたいと思います。

  他の居住区オーナーのみなさんも
  それぞれ何か協力してくださると思いますので、
  じゃぱらんどのみなさんも頑張って乗り越えてください。


この種の救済処置は
今後、日系社会全域に広がる予感がします。

また、JPLのSIMの各所に
住民有志によってネコ氏の名前による看板が立てられ
SIM消失についての警告を住民に発しています。


さて、昨日に予告したとおり、
これから数回に分けて
JPL草創期から今に至るまでの過程を
振り返ってみたいと思います。
今日は一回目。


2007年5月18日、
JPLの第一弾SIM「じゃぱらんど東京」の
土地分譲が開始された。

受付開始と共にあっという間に全分譲地が完売し、
SLに47個のSIM群を形成しようというJPLの試みは
幸先の良いスタートを切った。

SLという仮想空間に
47都道府県の名を冠したSIMを配置し、
日本列島を形成する。

この独特の構想と
安価な土地の販売価格、
またプライベートSIMには珍しく、
土地はレンタルではなくて分譲であること。
つまり土地の転売も可能となる。

そして、SIMのプロデューサーとして
ミュージシャンのハタケ氏を起用したこともあって
JPLの土地販売は好調が続き、

  2007年06月03日:JPL神奈川

  2007年06月15日:JPL静岡

  2007年06月19日:JPL千葉

  2007年07月15日:JPL奈良
             JPL大阪

次々に新しいSIMがオープンし、
いずれの土地も完売の人気だった。

今でこそJPLの土地の値段は他SIMに比べて割高だが
当時は相場と比較してそうとうの安値だった。

その秘密の鍵は2つで、

 ◇SIM1~2個程度の儲けは薄くても
  いずれは数十個のSIM群によって採算を取っていく

 ◇SIM中央の広大な土地を
  RL企業の進出用地として確保しておき、
  RL企業のSL進出支援業で利益を上げる。

SLの成長と日系社会の人口増、
そしてRL企業の大量進出を前提とした構想だった。


私自身は、
去年7月のJPL奈良オープンの際に自宅用の土地を購入、
さらにJPL大阪に巨大な売り地が出たときに
これを買ってSOS-Nebula本店を建てた。

当時はJPLのSIMが
一ヶ月に複数個もオープンしており、
JPLが一番輝いていた時期だったと思う。

お店を開いたJPL大阪は隣接するJPL京都と共に
終日、多くの人でにぎわっており、
SIMの角にある猫丸デパートや
後から参入してきたイオス結婚相談所、
さらには、うちの店の一角に設置したSOSカフェなどが
集客の中心となっていた。

「今日も大阪は重たいよね~」「人が多すぎ」
なんて会話が普通の毎日だった。

古き良き記憶。
SIMは人で賑わい、建物が軒を並べ、
プロデューサーのハタケ氏、
さらに名物キャラクターで知られた管理人氏と
住民とのコミュニケーションも良好であり、
誰もがこのアットホームなじゃぱらんどでの生活を楽しんでいた。

しかし、秋の風が吹く頃から
日系人口は減少に転化、
RL企業の進出はストップし、
それまで賛辞一色であったマスコミ報道は一転して
「SLはゴーストタウン」と報じはじめた。

土地販売は伸び悩み、
SIMのオープンもストップし、
JPLの運営は曲がり角にさしかかった。


        続く



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Posted by Owner 「Eri Carfagno」 at 22:11 │SL考察